日本翡翠は最高の守護石〜日本翡翠(ヒスイ・糸魚川翡翠)〜
弥生古墳時代の遺跡からは獣形の特殊な勾玉が発掘されていて、遠い昔のご先祖たちもパワーアニマルとともにいた証拠となっています。獣形勾玉は精霊が宿る形。手にするとたくさんの幸運を運んできてくれそうで、ドキドキしてしまいます。
獣形勾玉を見る日本翡翠の歴史とパワー効果
◆翡翠(ひすい)というと多くの人は、リングやペンダントに使用されている緑色でトロンとした深みのある宝石を思い浮かべるのですが、あれは翡翠の一部の形状であるにすぎません。ひとつの結晶が大きく育つルビーやエメラルドと違って、翡翠は極微で膨大な数の結晶が密に集合した岩塊状をなす宝石。基本色は白で、角閃石や輝石の仲間が混入すると緑・赤・黄・紫・青・黒と多彩な色合いをした翡翠が誕生します。このうち緑の部分だけをカットしたものが、宝石店に並ぶ半透明濃緑色の宝飾品として利用されています。
◆日本列島では5千年ほど前の縄文時代中期に「大珠・たいしゅ」という翡翠製品が作られるようになりました。大珠は概して細長い楕円形をしていて、5〜15cmほどの大きさ。ほぼ中央に穴が開けられています。縄文時代のシャーマンたちはここに紐を通して、魂振り魂鎮めなどの儀式、いまでいう癒し・ヒーリングやパワー強化に使用したと想像されています。
◆鉄器のなかった時代に、翡翠のように硬い石を楕円形に磨くのは容易ではなかったはず。穴を開けるのに乾燥させた笹の軸と研磨剤代わりの砂を使用していたそうです。交易の品として列島各地に運ばれた翡翠の大珠や原石に、かの時代の人々はめくるめくほどのパワーを見ていたに違いありません。5千年前といえば古代エジプトでピラミッドが建造され、インダス文明が始まった時代。そういうはるかな昔に宝石を愛玩した文明の例は少なく、私たちの遠いご先祖はタダモノではなかったと驚嘆してしまいます。
◆翡翠の勾玉は縄文時代後期に作られるようになり弥生・古墳時代に全盛期を迎えます。一般に知られている勾玉の他にも獣形や獣頭形(丁字頭形)の勾玉が作られていました。勾玉は祖霊を招く器であり、立派なものは豪族たちの祭祀権の象徴とされていました。邪馬台国や初期の大和王朝では中国大陸や朝鮮半島との交易の品に選ばれていました。
◆「幸運な出来事は神秘的な世界からの力強いパワーが自分に付着して起きる」と感じていた当時の人々にとって、勾玉はパワーの世界と自分を結んでパワーアップしたり、願いをかなえるためのパワーオブジェクトだったのです。
◆古代中国の律令制度の導入、仏教の伝来によって勾玉の着用は抑制され、翡翠文化は消滅していきました。明治以降に考古学がおきて、大珠や勾玉に使用された翡翠原石の産地は謎とされていたのですが、富山県と新潟県の県境近辺・糸魚川地方産のものと証明されたのは戦後になってからのことです。他ならぬ自分たちの足もとから翡翠が採れることがわかって考古学会は大騒ぎ。日本史は刷新されました。越(こし)のヌナカワ姫に求婚するオオクニヌシの妻問(つまどい)神話も古代日本海文明の投影と考えられるようになったのです。
◆現代という混迷と不安の時代によみがえった日本翡翠は、癒しと安らぎを求める私たちの心が古代から汲みあげてきた「心を再生させる形」であるようにみえます。
◆風土や歴史などによって育まれた古い時代からの感性は、私たちの心の基礎をなしています。日本翡翠を愛用すると、心の深層が刺激されて、力強さや元気よさを回復できるのもそれゆえのことであり、日本翡翠を最高の守護石とよぶゆえんです。
